原子力政策が揺れています。
日本の原子力政策は原子力基本法2条に謳われている、原子力3原則に則って展開されてきました。民主・自主・公開の3つです。3原則には、国による軍事利用を防ぐことを内外に強く訴求することが不可欠だった戦後日本の成り立ちが色濃く反映されてます。
一方、エネルギー資源の確保は国の前提条件でした。石油・天然ガスと異なり、核燃料はひとたび炉内に搬入されれば長期間に亘り燃焼しつづけること、さらに核燃料サイクルにより理論上、使用済燃料から新たな燃料を抽出できることが、原子力の最大の魅力でした。
敗戦国として核の軍事利用は行わないことを示す必要がある、同時に資源確保も必須である、この双方の命題を両立させることが、日本の原子力政策の出発点だったのです。
「国策民営」という政策はこのような背景から生まれた概念です。原子力開発が国によって推進される一方、民間企業である電力会社が推進・利用を担う、いわば二人三脚の形態で進められているのはこのような日本の原子力政策の成り立ちによるものでした。
現在では誰もが当然のことと受け止めている、この役割分担に当たっては、国と電力会社の間に黙契が成立していたと考えてよいでしょう。国は国際社会への配慮から、自ら原子力開発を行わず電力会社に委任する、その見返りとして原子力に有利な環境を整え、電力会社の利益を保証する、というものです。
この黙契こそが、国と電力会社という車の両輪を繋いでいたのです。
これらの前提のもと、電力会社は原子力開発を推進します。東日本大震災以前は原子力利用率に応じて電力会社の利益が大きく変動していたことは周知の事実です。
この大前提は崩れました。
すでに多くの方々が理解しているように原子力利用が電力会社の利益に繋がることはなく、むしろ電力会社の大きな足枷となっているのが実状です。
電力会社の経営層は現在、大きく2つに分かれているのではないでしょうか。相変わらず原子力は安価だと信じ、原子力発電所の再稼働・高稼働を待ち望んでいる方々と、いまやいかにして原子力発電所を廃炉し、高レベル放射性廃棄物の処理・処分負担を逃れるか、を真剣に考える方々の2種類です。
後者の理解が正しいのですが、これを実現するのは極めて困難で、いずれ国との大がかりな取引が不可欠になってきます。
次回は本稿に記した原子力スキームがどのように崩れていったのかをふり返ってみたいと思います。